駒澤大学で担当している「異文化コミュニケーション論」の授業で,韓国人の韓国語教育研究者でYouTuberとしても日韓の文化に関する相互理解を試みているシム・ヒョンボさんにzoomを使って韓国から登場していただき,一コマ90分を使って交流授業をやってみました。
やりかたは,シムさんが日本に留学していたころの経験談や,日本人の奥さんとの間に経験する「異文化間のおどろき」のエピソードを紹介していただき,なんでシムさんがそこで驚いたのかを受講生に推理してもらう,というものです。
そこで使われたエピソードはこんな内容でした。
事前に韓国についてのイメージや知識,日韓摩擦が起こる原因や対策についての考え方などについてのアンケートを実施し,それと共にこの質問をあらかじめ提示して最初に想像した答えを書いてもらいました。
その後,授業では改めて回答を確定するために,必要と思う質問をシムさんにしてもらい,そのあと最終回答をしてもらいます。
それからシムさんに回答と解説をしてもらい,授業終了後に再び事前のアンケートの内容プラスアルファで事後アンケートに答えてもらいました。
ちなみに,事前のアンケートでほぼ正解した人は「日本留学中のエピソード」では2名だけ,「日韓夫婦の葛藤のエピソード」は全員不正解でした。
シムさんの回答を聞いたあとの受講生が一番感じたことは次のようなことでした。
「今日の授業を経て,韓国と日本の共通点がわからなくなりました笑」
「あまり似ていないと感じた」
「すべて。なにもかもが違うと思いました。ある程度形式は似ていても,中を見るとまったく別物でした。」
「国民の性格がほぼ正反対だった。」
「韓国に対する考え方が大きく変わりました。」
「初めて韓国の方と交流して、こんなに距離が近いのに文化が全く違うことに驚きました。」
事前のアンケートでは受講生は「韓国のコスメ」や「K-POP」,「韓国料理」などを通じ,私が想像していた以上に韓国を身近に感じていたようでしたが,実際にシムさんとやりとりしてみて,それまで想像もしなかったような違いに驚いている様子がよく見えてきます。この科研のキーワードでいうと「異己」に気付いたということになります。
ちなみに,シムさんの回答は以下のようなものでした。
これらの回答に加えて,シムさんからはご自身の体験から感じられる日韓の人間関係の違いを具体的に説明してくれました。
二番目の問題も単に日本の生徒が「知らない」「関心を示さない」という否定的な見方には決してとどまらず,それを日本人の「葛藤そのものを避けようとする」心理が現れている問題として理解されているなど,とても重要な視点がたくさん説明されました。
シムさんが強調されたその違いはこんな風に説明されています。
「韓国人は情,日本人は配慮を優先する。この情というのは、皆さんはちょっとピンとこないところもあると思いますけど、日本から見ていきましょう。……日本は配慮で相手のことを考えるのがちょっと好まれる文化で、韓国人は情というのは、私が食べたいもの,あなたも食べたいでしょう?私が好きなもの、あなたも好きでしょ?という自分からの考えで相手にいろいろやってあげるというのが私から見たら情だと思います。なので韓国は自分の感情が優先で、日本はその相手との配慮ということで、いろいろ問題の解決などを優先する傾向があるということも覚えてくださいね。」
こういう説明を受けて,受講生は日韓の違いとしてこういう点を強く感じたようです。
「韓国の方は自分がどう思うかを最優先に考えていて、日本人は相手にどう思われるかを最優先に考えている」
「韓国では、自分の感情を優先する傾向が強くあること」
「日本は相手を立てるために謙遜するが、韓国は相手よりもまずは自分の気持ちを優先して行動するところ」
「まず相手の気持ちを考えてふるまうべき」と考える傾向の強い日本の見方からは,「自分を優先する」ように見える韓国の生き方は否定的に受け止められてもよさそうに思えます。
ところが大変興味深いことに,多くの受講生はその韓国的な姿勢に魅力を感じているようでした。たとえば以下のアンケート結果にもそのことが現れています。
これは授業を受けて韓国への興味がどうなったか,また交流への積極性はどう変化したかを尋ねたものです。
今の若い世代はもともとそういう傾向が強かった日本の中で,「お互いに傷つけあうことを避ける」「相手に踏み込まないようにする」という傾向,あるいは「相手に迷惑をかけない」という規範が極端になっているように感じるのですが,それは長所としては「やさしさ」「思いやり」「遠慮」「配慮」といった形でも現れますが,その同じ姿勢が逆に相手との距離を深められず,葛藤の中でお互いの理解を深めていく可能性を減らし,人に助けてもらうことにも過度に遠慮してしまう結果,問題を自分の中に抱え込んで孤立してしまう傾向にもなっているように思います。
実際日本の長所と短所を尋ねても,受講生はこの同じ姿勢を長所としても短所としても指摘してくるのですね。
そういう形で孤立し,葛藤は自分の中にため込んでしまって悪化していく,という展開になることで,やがてそのことに耐え切れなくなった人たちは,激しく他者を攻撃したり(他害),あるいは自分を攻撃したり(自傷),あるいは力尽きて全てのつながりを断ち切って引きこもってしまったりするようになっているのだろうと思います。
韓国の皆さんの,それとは正反対ともいえる人とのつながり方や葛藤への対処の仕方を直接聞く機会を持つことで,たぶん「こういう生き方もあるんだ」という新しい可能性を受講生のみなさんが感じられたのではないかと想像しています。
この授業を終えて,こんな感想も寄せられています。
韓国の教授、ヒョンボさんとの交流が一番印象に残った。交流と言ってもこちらがなにか直接話しかけたりはしていないが、普段なかなか関わることのない日本以外の国の方のお話を聞いて、韓国人が思うリアルな日本の姿を知ることができたので、90分という短い時間だったが、とても有意義な時間であったと思う。
異文化交流というのは話せばわかるもんだと思っていました。しかし話してもわからないこともあると理解できました。互いに向き合い時間を過ごすと共に理解はできないけど、受け入れていくことはできるのかなと思いました。
ディスコミュニケーションが起きる場というのは、単に相手と気が合わない・相手が自分の意見を受け入れようとしないだけではなく、根本的に育ってきた環境によって価値観が異なっていたり、言葉には出てこない思考の裏側に理解に大事な言葉が存在していたりと、“理解出来ない”のではなく、“理解し難い”という表現の方がしっくりくるようになりました。なぜそう思うのか、を少しでも理解しようとする寄り添いの姿勢が、今後さらに複雑化していくであろう社会を担っていくひとりの人間として大事なのだと思うし、そんな姿勢を忘れずにいたいと思うようになりました。
受講生の感想にもあるように,たった90分の授業でしたが,「異質な文化との接触」は,こんな形でお互いの違いを見つめ合い,自分とは異なる相手の視点に関心を持つことで,単純な拒絶ではない,違いを前提にした共生への姿勢のきっかけを生み出すことができるのですね。
(日中チーム② 山本登志哉)
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